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賢い女イイ女。自由に素敵に、身も心も美しく!

アンチエイジングな毎日を送りたいなら、賢く美しく生きること。バレリーナRYOKOが、本物志向の素敵な毎日を送る心も体も柔軟なハッピーライフをお手伝いします。上手なダイエットや賢い生き方を目指して、イイ女とよばれ愛される人に!



2014-06-08

優しくするとは。

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優しくしてほしい
と思っているのに、

優しくしていない
ということはないですか?



一番手はいつも自分から。


そんな心がけをしたいものです。


誰かが優しくしてくれるのを待っても、
誰も優しくはしてくれません。


なぜなら、
みんな、
優しくして”ほしい”と待っている方だから。


誰かが優しくしてくれたら自分も優しくしてもいい

というケチな考えもやだね。




無視に耐えられるほど
人間は強くありません。



優しくするというのは大切に思うこと。

大切だと思うなら大切にすること。

大切にするというのは、

大切だと伝えることです。



意図的な無視、というのでもないなら、
その表現、本当に間違っていないでしょうか?



伝えないなら無視しているのと同じ
ということだってあるのです。


そのうち
優しくしてもらえるどころか、
自分が無視されちゃう
なんてことになるかもしれません。



勿論、大切と思う自分の気持ちばかり
押し付けてはいけませんけどね。

それもまた
大切にしていることにならないから。

だってそれは相手を無視した押し付けでしょ?



そのバランスが、むずかしい?


たしかにね。



それじゃ練習から。



練習もせずに上手になろうなんて
あつかましいのはだめ。




大切に思っているから、
自分は既に優しいから、

伝えなくてもいい?




それは照れなの?
面倒なの?
言い訳なの?



その口、声、使わないなら

もらったところにお返ししなくちゃね。









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タグ : 生き方 考え方

2014-06-08 │ 美しい生き方 │  コメント : 0
2014-06-07

人と関わるということ

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人と関わるということは、
否応でも学ぶチャンスが訪れるということです。


人と関われば、必ず何らかの感情が動き、
頭を働かせて、言葉や表現を選ぼうとしますから。



それが上手かそうでないかは別として。

それを本当に学びにするか否かは別として、

チャンスがやってきていることには
違いないと思うのです。



人と関わらない
人を避ける

ということは、

心のどこかに、人を「遮断する」意識が働いている
のかもしれないですね。


自分の内側に、人を介入させたくない
という思いが存在するのかもしれません。


自分の殻の外にしか出入りを許したくない
と思っているのかもしれません。


自分に被害(関わり)のない関係のない遠い所でのみなら、
人と関わってもいい、ということなのかもしれません。


ですが、それは、本当の関わりとはいえませんね。


“関係ないところの関わり”

ということになるので。



それでは、せっかく人と出会っても、
自分の成長に貢献していることにはならない。



だって、それって痛くも痒くもありませんから。


「楽」ですが、「無」です。


楽なだけで、学ぶものが無いといったカンジ。



「学べている時」というのは、

痛みや苦しみを伴っている時だと思いませんか?


だからといって、

痛くて苦しいなら学べている
ということはできません。

なぜなら、悩み苦しみの中にいるだけで、
停滞しているから一層苦しくて、
そのまま、まったく成長していない人は
世の中には、たくさんいますから。


停滞の時の痛みと、
学びの時の痛みは、
全く別物であることも知っておきたいものです。



もし、自分が

「無関係」

を作り出している。


としたら、

孤立するから、ますます孤独感は強まり、

不安になり、心細くなって
何かに依存したくなる。

そんな自分に痛みや苦しみを感じるでしょう。



人を恐れて、知らぬうちに無自覚のまま、
人をあっちに突き飛ばしておきながら、

人と関わることを避け、
人が自分と繋がることを拒絶し、

そして一人になって孤独感に苦しむ


としたら。



だとしたら、

自分の何かを改善すべきなのでは?




自分自身が「無関係」を作り出している事実に気づく


とか、


人と関わることを恐れている


とか、


何か小さな自分の「事実」について。



それが、「己を知る」ということの
ひとつの試みでもあると思います。



「己」のことが少しでも分かれば、

次に何をすべきかが、
自ずと分かってくるものです。


どうしていいか分からないのは、
自分のことが見えない場合が殆どです。


見えないものは、どうにも対処できないのですから。




良い仲間が欲しい。

素晴らしい伴侶と出会いたい。

素敵な関係を築きたい。


その正直な思いとは矛盾する
人を恐れ、遮断してしまっている状態を
同居させていないか、

考えてみてもいいのではないかと思います。



何か改善すべきものが発見できると良いですね。



己の何かを改善しつつ、人と真に関わり、
たくさんの学びができること。



目指すべき素晴らしい価値あることだと、私は思います。







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タグ : 人間関係 生き方

2014-06-07 │ 人間関係 │  コメント : 0
2014-06-06

人間成功の条件「正直」について

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人は、誰でも自分のことを正直だと
思っているものです。


ですが、
「正直であるつもり」

と、

「本当に正直」

を同じにするのはオススメしません。


なぜなら、

それは、「似て非なり」であり、
次元の違いすぎる話だからです。

それを一緒くたにしていては、
自分の取り扱いを、大きく間違ってしまうからです。



あなたは「正直」な人だとは思いますが、

人間が「本当に正直」になるのは
なかなか難しいのです。



少し実験してみましょうか。


想像してみてください。


もし、このまま発明が進んで、

自分の思っていることが全て
漫画の吹き出しのように空中に浮かび上がるとしたら?


自分の思っていることが全て

です。


通りすがりにぶつかって行った人に対して。

お釣りを渡す時の店員の態度が悪かった時に。

小さな石に蹴つまずいてイラッとした時に。

我が子が自分の言うことを聞かなかったために
「ほらみたことか」という愚かなことをしてしまった時に。


自分の不利になるような時に、
人間の真価がはかられるわけですが、

自分の気に入る結果にならなかった時に
相手に対してどんな感情が働くか?

大金を投じたのに相手が自分に都合よく
「操作」出来なかった時に、相手をどう思うか?




小さなことから、自覚のないことから、
一つ残らず全て表に明らかになった時、

あなたは、それでも
「感謝に溢れた人」でいられる自信があるでしょうか?

あなたの吹き出しは、
どんな時も「感謝の言葉」だけで埋め尽くされますか?



ふふ。

きっと、そんな「聖者」なら

必死で何かを学ぶ

ってことはしていませんね。



私たちは皆、どこか至らない未熟で、愚かで

だからこそ成長の可能性を秘めた

「人間」

という、どうしようもない汚れた生き物を
やっているのだと思います。


その「自覚」がある人だけが、

自分の汚れを落とし、身体を磨き、心を磨き、

「少しでもきれいな人でいよう」

と努力を始めることができるのだと思います。


それが自分磨きであり、
自分を高める生き方になるのだと思います。



「自分は既に立派なのだ」「自分は間違っていない」

という錯覚に陥っている人は、

必ずどこか、
努力を怠ったり、謙虚さを失ったり、
学びの場を避けたりする姿勢が見受けられます。

自分に対して
誠実とはいえない生き方をしているのです。

それは、
自分の「理想の生き方」に正直なのではなく、

自分の「マイナス感情」に正直なのです。



会話をしていると、ところどころに傲慢さが
ポロリ、ポロリと、顔を出しますからすぐにわかります。



そういう人は、

「自分は大したことない」

と自信なさそうに振る舞ったりもしますが、

一方で、
人を小バカにして、批判めいた目で
人をジャッジしたりします。


すぐに結論を急ぎ、答えを欲しがりますから、

時間のかかる「本当の成長」とは無縁です。


乗り越えるべき真の学びがやって来たら
苦しくなって、

「こんなことは自分のすることではない」
「もっと他にすべきことがある」

などと、わけのわからない自己流正当化を大発揮して、


「学び続けます」

と自分と約束していようが、

「感謝のある人間になります」

と神に誓っていようが、


いとも簡単に約束を破って裏切ります。



自分が自分を裏切るのですから、

周りが誰ひとり裏切らなくても、
神様が決して見捨てなくても、

「誠実な結果」

など、巡ってくるはずもありません。



これを、

「自業自得」といって反省するか、

「だって、あの人が悪いんだもん」

といって正当化と責任転嫁をするかは、
選択の自由なので、どちらでもいいのですが、

自分がどんな都合の良い、不誠実で、不正直な
姿勢を貫いているかは、ある程度
見えるようになる方がよいのではないでしょうか。



そのためにも、

自分の状態=考えている事が全て吹き出しで丸見えになる

と、いったいどういう評価になるだろうか?
と想像でもしてみれば、
少しは、自分の「本当」を、
垣間みることができるのではないかと思うのです。



「本当に正直」

というのは、挑戦するに値する
価値あることだと思います。


ほっておいて勝手に手に入るような
チープなものだとは思えません。


それだから、訓練して訓練して、

少しでも「本物の正直に近づこう」とすることに
意義が生まれるのだと思います。

そういう生き方に価値がもたらされるのだと思います。



どうすれば、少しでも早く正直さが身に付くのか。

本物の正直とは何なのか。

どういう状態が、正直であると言えるのか。

正直になるための日々の練習法とは?




たくさんのことを学ぶ必要があるわけですね。

一人で時間をかけて学ぶか、
プロのサポートを受けて最短で学ぶかは、
好みで決めればよいとして、


学びを選ばないで良い理由があれば教えてください。








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タグ : 生き方 成功

2014-06-06 │ 美しい生き方 │  コメント : 0
2014-06-05

人の何を恐れているか?

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人が成功する=成長する
という仕組みは色々ありますが、
その中の一つ、

一人で頑張る弊害

について、
少し確認しておきたいと思います。




人は、相手を変えることはできない。

人は、自分しか変えることはできない。



という言葉は、
今や誰もが知っている言葉になりつつあるわけですが、

なぜか、本当には、
この意味を分かっていない人が大半です。



自分を変えられるのは自分しかいない
というならば、

「自分一人で頑張らないとね」

ということになるわけですが、
ここに落とし穴があるのです。


一人で頑張っても、結果はもたらされません。


なぜなら、
何度か、これまでも話題にしている通り、

一人で自分の真実に気づけるなんてことは
ないからです。

必ず人を介さなければ、自分への理解など
できるわけないのが人間です。


その証拠に、友人もなく一人で過ごす人が多い人は、
かなりワガママで傲慢でいることが可能です。

外出せず引きこもって生活する「引きこもり」

だけに関わらず、

通常の社会生活は行うけれど、
本当の意味では人と交流しない、できない、
「精神的引きこもり」

というのも、

殆ど、ワガママ傲慢を押し通したい
という「ワガママなもの」です。


ワガママを貫けることは、確かに「楽」なのですが、

「痛い目」に遭うチャンスがなくなり、
痛い目に遭わなければ考える必要がなくなり、
「自分の殻」に閉じこもることができて、
自分の過ちに気づくチャンスが減って、

自分自身の真実にも、改善すべき点にも、
全く気づかなくても、一日をやりすごすことが
可能になってしまうのです。


この、

「人との関わりを恐れた状態」

何が成長といえるのでしょう?


例え成長したとしても、
人との関わりを避けるのであれば、
何のための成長でしょう?


自己満足?




また、人と関わったとしても、

表面だけの浅い関係しかつくれない人と、

人間性を指摘し合えるような(ケンカではありません)、
ある意味キビシい関係(深い関係ともいう)を
もてる人とでは、

自分を掘り起こすレベル(深さ)が全く違うことも
わかることでしょう。


自分の成長は、人と関わらなければ、
ほぼ不可能ということです。

できるだけ深い関わりによって
さらに学びは深まるということです。


自分について考えたり、感じたりせずにすめば、
一人芝居と堂々巡りで
一日は過ぎ去っていくだけですから。


これは、

楽を選び、成長を犠牲にする生き方です。




一人芝居で「成長ごっこ」をしても、
「成長」はしませんから、

自分を高めたり、成長させたい人にとっては、
このような一日の過ごし方は、
「無意味」ということになってしまいます。



そこで、自分を成長させるためにも、
外に出て、人に会うことを選び始めるわけですが、

自分を高めてくれるような理想的な関係を
通常の生活でつくれない人や、

自分より更にステージの高い人と関係を築きたい
という「ハイレベルな考え」をもつ人は、

お金を出して、そういう関係を買って、
本当に自分自身を高めたりします。


それが「更なる学び」であり、そのレベルが
「深い」か「浅い」かは
自分で選べば良いということになります。



「ハイレベルな考え」とは逆に、「低レベルな考え」では、
自分より高いレベルの人と関わるのが
悔しくて(嫉妬心が強すぎて)、
耐えられるものではありませんから、

「精神的引きこもり」の人間のまま
成長するチャンスを、毎日失っていきます。


いくらお友達同士でランチをして交流をしても、
実質的には、人を避け続けているのです。


表面的には関わっても、
決して自分の内側には介入させません。


相手を締め出しておきながら、関係をつくっていることにする

といった感じです。



なんらかの形で人と関わり、

毎日毎日学ぶ人と、

毎日毎日学びから遠ざかる人とでは、

生き方、人生の質、あらゆる面で差がつくのは当然です。



とはいえ、

心を閉ざしている人が殆どの世の中ですから、

人と本当に関わる

ということがどういうことか分からない人も
多いのが現状です。


ですから、無理して、「心を開いた関係つくらねば」、
と思う必要はありません。

そんな「無理」は続かないし、あまりに怖すぎて
「考えたくもない」、と逃げたくなってしまうからです。


学びの場から逃げてしまっては、成長はありません。



ですから、まずは、

自分がどの程度、

人と関わろうとする意識をもっているのか、
どの程度、人と関わることを恐れているのか、
あるいは、
どの程度、人と関わっているつもりだと、
自分の主張したい気持ちばかりにこだわっているのか、

自分の現状把握から行うといいのではないかと思います。


一人で頑張るというのは、
一人芝居に陥る可能性が格段に高い

ということです。


人との関係は、今でも重要視されてはいますが、

その質や種類を、
ガラッと変える必要があるのではないか


と思うのです。


人間関係にも、

本物と、本物とはいえないものがあるということに
気づいて、

本物を目指し始めてはどうかと思うのです。


この世で、人間関係ほど素晴らしく価値があるものはないのです。

一生かかっても、

本物志向

を続けたらいいのでは?



人と本当に関わる

ということ。

それの何を自分は恐れているのか?

それを考えて見つけること。


それが、

一人で成功しない堂々巡りから卒業して、

本当に成功(成長)するための
スタートではないかと思っています。



新しい気づきがありますように。





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タグ : 人間関係 考え方

2014-06-05 │ 人間関係 │  コメント : 0
2014-06-04

己は、怖いですか?

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己を知る


「そんなの当たり前ジャーン」

「もう分かってるって」



こういう叡智は、

すぐさま表面的な意味合いばかりが流行して、
チープな言葉になってしまうのが、

なにやら仕掛けられたトリックのように
私は感じてしまいます。



「分かりきったこと」

という錯覚に陥らせて、真剣に取り組んだり、
考えたりすることをやめさせられる

という“にほい”が、してしまうわけです。


大事なことほど、当然、奥が深いから、
誰にでも簡単には理解不能。

それを我慢できない(自分は分かっていることにしたい)者達が、
表面的な理解で、

「この言葉はスバラシー、スバラシー」
といって、安易に使うことで、

大事なことがかえって、
どんどん見えにくいものとして奥底に追いやられていく

という感じがして仕方ないのです。



あまりに「聞き慣れた言葉」には重みがなく、

「知ってる知ってる」

と、容易に知った気になる錯覚してしまいますからね。





「その言葉を知っている」

ということと、

「その意義を理解している」

ということとは全く別物であるはずなんだけど。



知識重視。


たくさんのことを知っていれば合格

その意義を追求する必要もなければ、
本当の理解に至らなくてもお構いなし


という、成績重視の日本の教育方針で育てば、

仕方ない面はあるとはいえ、

その犠牲のまま人生を終えていい
ということにはならないはずなんだけどな。




己を知る

ということは、それほど簡単なことではありません。


やっと一つ分かった、と思っても、
本当は全然、分かっていない、というのが現実です。


もうこれでいいだろう

と思っても、次の知らない自分を発見して

ええーーーーーーー!!!!!!

となったりします。



キリがありません。

「成長には終わりがない」ということを
よく表しているなあと思います。



でも、ま、いいことです。

終わったら、生きることも終わるのですから。


個人的には、もう少し観たいものもあるし、
食べたいものもあるし、
やってみたいこともありますから、

終わってもいいけど、
まだ終わらなくてもいいかな。



ということは、
ずっと分からない部分があってもいい

ということになるのですが、でも、

それが、「ずっと同じ部分」というのでは、
いけません。

なぜなら、それでは、ちっとも景色が変わっていない

すなわち、まったく成長していない

ということになるのですから。



だからといって分かってしまった
と言ってもいけないわけですね。

「その」部分は分かったかもしれませんが、
「この」部分は分かっていないのですから。



ということは、

「分かったと思ったら負け」

という考えでも使わなければ、


実際には、

「分かったつもりの負け犬」

に成り下がってしまうのではなかろーか
と、恐ろしくなるほどです。



サイアクの事態を考えて最善を尽くす


自分の成長にも、
その理屈を使えばいいのではないかと思います。


最良の事態を夢描いて、サイアクの結果


ってことになるより、ずーっとマシだと思いますから。



これだって、どちらの考えを使うか、

選択の自由です。


好きな方を選んでいいわけです。


ただし好きな方を選ぶのですから、
文句いいっこなしです。

文句があるなら選択を変えるしかありません。



自分の成長度合い(結果)に満足しているのでなければ、


己への理解を間違っていると考えるのが
一つの賢い選択です。


己を知っていると思いながら
欲しい結果を得られていないとしたら、

相当、「見る目」を間違えている
と言わざるを得ないでしょう。



何を見てもキレイに見える眼鏡をかけているとか、

映画が映る最新式の眼鏡でもしていて、

自分がハリウッドスターさながら活躍している
現実でない「映画」を観ているとか。


自分自身という「現実」を観るためには、

どんな眼鏡も外さなければなりません。


ピンク色のサングラスでは、
全てがキレイなピンクには見えて
気分は良いかもしれませんが、

それでは現実を観ることはできるようには
いつまでたってもなりませんから。


ピンクのサングラスを外して現実を見たら

「げっ、汚い色!」

と思うかもしれません。


真っ黒なサングラスで光を遮っていたなら、

「うぐっ、眩し!」

と、目つぶしにあう気がするかもしれません。


「あー、気分わる。」

と思うかも知れません。



ですが、それが「現実」。



目にウロコやら、サタンがくっついていたなら、

それもとっぱらって、自分を正しい目で

観れるようにしたいのです。



勿論、魔法はありませんから、
練習するしかありません。


そういう見方に慣れていく

という「実践」が必要なのです。



サングラスをかける、というのは、
現実の光から逃げる行為です。


時には目を守るために必要かもしれませんが、

家でも、人前でも、深夜でも、ベッドでも
サングラスをかけ続ける

というのは、ほとんど異常行為です。



何を恐れているの?


とさえ、思うはずです。



もちろん、
長い間慣れ親しんだ自分の一部になっているのでもあるのですから、
その眼鏡は、簡単に外せるものではありません。

外すのには勇気も必要ですし

上手な外し方と、ヘタクソな外し方もあります。


だから、少しずつ慣れていったり、
外し方を覚えていったりと、
それなりに時間がかかるのです。

ですから、少しでも早く
練習を始めなければならないといっているのです。



怖いから、怖いから、怖いから。


そう言い続けるのは構いませんが、

それでは
決して現実を観る力をつくことはできませんが、
それでもいいですか?


という「選択」にすべきだということです。


怖いから観ないのか。

怖くても練習して観れるよう自分を成長させるのか。


その選択です。



間違いないことをひとつ。


誰だって、自分の真実とは恐ろしいものなのです。


特にはじめて挑戦するときは。



ですが、人生の差は、

恐ろしいといって逃げる

または、

恐ろしいけれど観る

この違いが大きいのです。


それは、

自分や世の中を、正しい目で
観る力を持てるようになりたいのか、

フェイクのままでいいのか、

の、たった一つの「選択の違い」でしかないのです。




見えないことの方が、ずっと怖いと思いますけれど
どう思いますか?


真実が見えない。


それの何が
そんなに素晴らしきメリットなのでしょう?


どうか私にもその貫きたい信念を伝授していただきたい。


「真実から逃げ回りなさい」

と、子供や、周りの人に教えてあげたい
という考え方が、よくわかりませんので。


逃げ回りたいほど怖いことである気持ちは
わかりますけどね。


だからこそ、

それほど怖くない、その人にぴったりの上手な方法
を伝授することを仕事にしているのです。


だって、
「成長したいです!」と真剣なのに、
努力が無駄になる生き方を黙って教えないのも罪じゃない?


「成長したい」と口先だけで
何も行動を起こさない、勇気もふるわない人には
何もしてあげられないけれど。









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